昭和62年3月・真宗学75・76号 抜刷 

20近世真宗教学史における信解釈の問題 信楽峻麿

一、はじめに
二、いわゆる能行系における信解釈
  1、南渓における信の理解
  2、興隆における信の理解
  3、月珠における信の理解
  4、深励における信の理解
三、いわゆる所行系における信解釈
  1、大瀛における信の理解
  2、玄雄における信の理解
  3、善譲における信の理解
四、石泉僧叡における信の理解
五、むすび

一 はじめに

 親鸞における信の性格は、基本的には、すでに指摘した如く(1)、本願念仏の行道における究極的真実との値遇、その現成としての、真実体験、または信知体験ということができる。

その真実体験とは、親鸞が信心を明かすについて、

  「信とは、即ち是れ、真なり、実なり、誠なり、満なり」(信文類)

といい、またそれをしばしば「真心」(信文類)と語り、また「まことの心」(尊号真像銘文)と示すところに明瞭である。

またその信知体験については、親鸞が信心を明かすについて、

  「信心の智慧」(正像末和讃)「智慧の信心」(唯信鈔文意)

と示し、またその「信心の智慧」に左訓して、

「みだのちかひはちえにてましますゆへに、しんするこころのいてくるは、ちえのおこるとしるへし」(親鸞聖人全集・和讃篇145頁)

と説かれることによっても窺知されるところである。

かくして、親鸞における信の基本的な性格は、このような究極的真実との値遇、およびその現成としての、真実体験、信知体験を意味するものといいうるわけであるが、このような親鸞における信心の性格は、その後の真宗教学史における理解においては、必ずしも、その本意が充分に領解、継承されたとはいいがたく、その理解の屈折は、今日における伝統教学にも色濃くその影響を残しているようである。

 その信理解の屈折について、重要な点は、その信が、上に指摘した如き内容をもつところの、まったく主体的な信知、覚醒(めざめ)体験であるにもかかわらず、それが対象的な帰順、帰属の心的態度として理解されていること、および従ってその信が、つねに行(名号ないしは称名)に対して、二元的に把捉されているということである。

このことは、親鸞没後まもなくして始まったものであって、すでに詳細に論考した如く(2)、覚如(1270〜1351)は、その『教行信証大意』において、行については、

「真実の行といふは、さきの教にあかすところの浄土の行なり、これすなわち南無阿弥陀仏なり」

と明かす如く、南無阿弥陀仏なる名号と規定し、その信については、同書に、

「真実の信といふは、かみにあぐるところの南無阿弥陀仏の妙行を、真実報土の真因なりと信ずる真実の心なり」

と示して、それは名号を往生の真因と信ずることであるといっている。

行と信とは明確に能所二元的に区別されて、行は所信であり、信は能信とする。

その信の内容については、別に詳細に解釈することはないが、この信を表象するについて、きわめてしばしば「帰す」という語が用いられ、また「帰命」「帰属」「帰托」という如き表現も見られるのである。

その点、覚如においては、名号、さらにはまた、その本願、他力に対して、一向に帰属し、帰托するということが、真宗信心の心相であると理解されていたことが知られるのである。

また存覚(1290〜1373)においては、これについてもすでに論考したところであるが(3)、その『六要鈔』によると、行とは、

   「称名念仏は既に是れ正行、また是れ大行なり」

と明かす如く、称名念仏を指すのであって、この行の理解については、覚如とは明確に相違するところである。

また信については、

   「信心とは是れ能帰の心、所帰の法に対して発する所の信なり」

と語って、仏願、仏力に対する帰依、帰命の心相であると明かしている。

その点、存覚における信の理解は、基本的には、覚如のそれと共通する。

覚如、存覚ともに、西山浄土宗の阿日房彰空について浄土教義を修学したが、この西山教学においては、ことに信心を「帰す」(かえる)と理解するところ、それからの影響も充分に推察されるのである。

ただ存覚においては、行を称名念仏と規定するところ、行信の関係については、覚如の理解とは相違して、

「行は信を離れず、信は行を離れず、今の文の意、信行相備して互に以て通用す」

「称名信心更に相離せず、影略互顕して此の義を示すなり」

と述べる如く、行と信、称名と信心とは、不離にして、信行相備、影略互顕し、まことの信心には必ず称名念仏がともない、称名念仏のほかに信心はないというのである。

かくして覚如における行道とは、もっぱら信心を正因とし、称名は往生決定ののちの報恩行であると理解されたが、存覚における行道とは、それとは相違して、行と信との不離を談じたがらも、基本的には行に信を摂して、「念仏往生」(持名鈔)、「称名往生」(持名鈔)を明かしているわけである。

 そして蓮如(1415〜1499)に至ると、蓮如の真宗理解は、もっぱら覚如教学を継承し、それを発展させたものであって、その行道の基本は、ひとえに信心を正因とし、称名を報恩の行業と規定するものであった。

その『御文章』に、しばしば覚如の『口伝鈔』や『改邪鈔』を承けた文が見られるところである。

その点、蓮如は存覚については、それを釈迦の化身とか、勢至菩薩の化身と崇敬しながらも(4)、覚如、存覚における教義理解の矛盾相違については、敬して遠ざかるところがうかがわれるのである(5)。

かくして蓮如においては、行とは、

   「円満の徳号は他力の行」(正信偈大意)

と明かす如くに、明らかに名号を指すものであって、その『御文章』二の九には、

「さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神、諸仏、菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとく、みなこもれるがゆへに、なにの不足ありてか、諸行、諸善にこころをとどむべきや。
すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の惣体なれば、いよいよたのもしきなり」

と語って、名号はあらゆる万善万行を摂在するところの惣体であるというのである。

そして信とは、その阿弥陀仏の行体に向って、「帰命」(御文章)し、「帰入」(御文章)し、「たのむ」(御文章)ことであり、蓮如はまた、それについて情感をこめて、

「なにのやうもなく、ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみ」(御文章)

とも明かしている。

蓮如における信とは、阿弥陀仏の行体に対する、ひたすらなる帰順、憑依の心を意味することが明瞭である。

その点、蓮如における信の理解は、覚如、存覚の思想を伝統しているわけであるが、その行を名号と捉えるところ、称名念仏とは信後の報恩行と理解するわけであって、蓮如における真宗教義の領解は、覚如のそれを継承発展して、明確に信心正因称名報恩の教義に帰結せしめているのである。

今日において、ことに西本願寺教団の伝統教学において、真宗教義の綱格が「信心正因称名報恩」と定められ、それが常教とされるのは、まさしく、このような、親鸞没後における覚如の真宗理解と、それを継承した蓮如の真宗理解に依拠したものであって、そこでは存覚の真宗理解は、ほとんど無視されているわけである。

しかしながら、後世の真宗教学の研鑚においては、この覚如、蓮如による教学理解と、存覚の教学理解との矛盾、相違は、その行道の解釈をめぐって、さまざまな問題と混乱を生起せしめていったのである。

真宗の行の解釈をめぐり、いわゆる能行系と所行系が対立することとなったのは、近世における真宗教団の性格と、その教団を取り巻く社会的状況の問題も無視はできないとしても(6)、基本的には、このように真宗教学史の初期段階において、すでに行道解釈についての相違、対立があったことに根ざすものであるといいうるようである。

 そこで、以下そのような教学の性格に注目しながら、近世真宗教学史上における信解釈についての概観を試みることとする。


二 いわゆる能行系における信解釈
  1 南渓における信の理解

 真宗教学中もっとも明快に、行を称名と規定解釈する筑前学派の南渓(1783〜1873)によると、その『行信一念贅語』によれば、行とは、

「体に当体々あり、所依体あり、(中略)行の所依体は六字の果号これなり。当体々は一口称なり。行とは何をか行ず、曰く果号の六字を行じて、布施読誦等には非ず。是を行体とす」

「称とは口業の称声、名とは果仏の名号。衆生口に彼仏の本願成就の名を称念す。故に行と名く」

などと明かす如く、行については所依体と当体々の二面から談ぜられるが、いま行の相を論ずるには、当体々において見るべきであり、それはまさしく衆生の口業なる称名を行というと主張するのである。

そしてまた信については、

「信とは、所聞所受の境に於て忍許決定し、無疑無慮受楽悦可する義なり。(中略)此の二具足し、悦可信楽し、本願に信(忍許)楽(愛楽)と云ふを、成就に開て八字とし、聞信喜、三相具足を以て信の義を尽す」

と述べて、信とは、所聞の対境について、忍許決定し、愛楽悦可することであるというのである。

このように、信に忍許と愛楽の意味があると理解することは、存覚の『六要鈔』に依拠することは明瞭であるが、この存覚の信理解についてはすでに考察した如く(7)、そこではかなり恣意的に、信を対象的な愛楽、帰順として捉えようとする意図に従って強引に解釈されているのである。

その点、真宗教学史上、信を解釈するについて、多くこの『六要鈔』に準拠するところ、信の意味についての把捉が、親鸞の原意趣と大きく隔離していったことは充分に注意されるべきことである。

 そしてその行と信の関係については、

「離合の二あり。合するときは二法ともに所帰の位、また二法共に機受の位に在り。離するときは、行は是所聞法の位、信は乃ち能聞機の位なり」

と語って、合の立場からいえば、行信ともに所帰の位、機受の位にあって、何れもその根源は仏の大慈悲心にほかならず、衆生にとっても、ともに仏の廻向法にほかならない。

しかしながら、離の立場からいえば、行とは所聞の法であり、信とはその行についての能聞の機について明かしたもので、

「行は所聞にして教位にあり、信は能聞にして機の位とす。就行立信とは此の義なり。行信両巻の位は、此の門を主とす」

という如く、行としての称名は、所聞としての教位にあり、信は能聞として機位にあって、両者の関係は、聞信される対象と聞信する主体との、二元的な能所の関係にあり、それが『教行証』の綱格、行信両巻の関係の基本であるというのである。

そしてその関係を更に詳細に示せば、その『行信一念贅語』および『応命略記』(真叢・附巻)によると、(1)能聞所聞対の行信、(2)能具所具対の行信、(3)能修所修対の行信、(4)能成所成対の行信の四能所の義について見ることができるという。

その能聞所聞対の行信とは、上に述べたところの、行としての称名を所聞とし、信を能聞とする行前信後の関係をいう。

次の能具所具対の行信とは、称名は必ず信心を具し、信心は必ず称名を具すという、行信互具不離の関係のことであるが、ただし行の一念と信の一念の関係については、

「信に行を具するは義説にして讃嘆門の当位には非ず」

「其の所具の行は唯是れ理にして事相を云ふに非ず」(応命略記・真叢・附巻330)

と明かして、法理の同時を語っている。

また能修所修対の行信とは、本願文の三心十念に対配して、信心に基づいて称名を修するという、信前行後の関係をいう。

また能成所成対の行信とは、善導の「三心すでに具すれば行として成ぜざるなし」(散善義)の文によるもので、信心はその必然として報恩の称名を成じるものであるとする、信前行後の関係をいう。

 かくして南渓においては、行とは衆生の称名行を指し、信とは対境についての忍許と愛楽の心のことであって、それは基本的には、行、念仏往生という教位なる所聞の法に対する能聞の心として、忍許、愛楽することであったが、またその行信の関係については、上の如き行前信後の関係のほかに、信心から称名へという、能修所修、能成所成という信前行後の関係、そしてまた、両者は互具不離であるという行信同時という関係も見られると主張するのである。

  2 興隆における信の理解

 筑前学派ほど明快ではないとしても、同じように行を称名と解釈しながらも、他面その根拠に名号の意味を認める越後学派の興隆(1759〜1842)によると、その『教行証徴決』によれば、行とは、

「問う、此の大行とは是れ能行と為すや、是れ所行と為すや、当に能所に通ずと為すや。
(中略)答う、謹んで此の巻の所明および相承の聖教を按ずるに、正に是れ能行にして当体全是所行なり。
是の故にまた能所の行に通ずべし。
(中略)豈に能行称名是れ大行にあらずや。
然れば此の大行は毫も行者自力の所修に非ず、全く如来所成の大行なり。
謂うところの如実修行の故に、能行即ち是れ所行なり」(巻三)

と明かす如く、明らかに衆生の称名を意味し、またその当体をいえば、あげて所行の名号であるというのである。

そして信については、詳細に論じるところは見当らないが、その『栖心斎随筆』によると、

「十住毘婆沙論に曰く、信とは決定に名づく。信の字は字典に曰く、疑わざるなり。故に信と決定とは異あることなし」

と記し、また『六要鈔』の文によって、

「信に二義あり。謂う所の忍許、愛楽是れなり。いまの信楽とは即ち此の二の意なり。因果に同時異時あると雖も倶に是れ因果異ることなし」

と明かし、因果同時なる忍許と愛楽の心をいうというのである。

信とは決定無疑にして、忍許、愛楽の意味をもつと解していたことが明らかである。

そしてその行と信との関係については、『教行証徴決』によると、

「まさに知るべし。行信両巻は、一往横に論ずれば、則ち行巻は称名往生を顕わし、信巻は信仏往生を明かす。再往堅に論ずれば、則ち行巻は所信の大行を顕わし、信巻は能信の大信を明かす。ただ是れ聞信名号の義のみ」

と示して、いちおうは『行文類』は称名往生を明かし、『信文類』は信心往生を説くものであるが、さらにいうならば、その『行文類』の称名往生とは信の対象となるものであり、しかもその称名の当体は名号であるところ、両者の関係は、ついには聞信名号ということになると理解するのである。

そしてまたその行信の関係については、「能信所信並挙」と「能具所具並挙」の二義があって、はじめの能信所信並挙とは、行(称名往生)を所信、信(決定)を能信とするもので、これは第十七願と第十八願との関係であって、ついには名号を信受することであり、のちの能具所具並挙とは、信を能具とし、行(称名)を所具とするもので、第十八願文における三心と十念の関係について明かすものである。

かくして、この興隆における行信の関係は、さらにいえば、

   「蓋し真宗の法義は行信行の次第なり。

初めの行は所信の法体、次の信は能信の機受、後の行は相続の能行なり。

此の能行は即ち所信の法を成ず、三法は展転循環して端なきなり」

と語る如く、それはついには、行(称名↓名号)、信、行(称名)の関係にして、後の行(称名)はまた初めの行となり、三法は展転循環するというのである。

そしてまた、その信の一念については、

「聞信の一念の時、いまだ口称せずと雖も、此の時已に、形の称念仏名の義を具す」

と明かしているが、このことからすれば、信の一念には、事相としての称名はないとしても、法理としては後続の称名が具されているとするのである。

 すなわち、興隆においては、行とは、基本的には称名と捉えながらも、その当体としては名号と理解し、信とは決定無疑、忍許、愛楽の意に解して、その両者の関係は、行信行と三法展転するものであって、称名往生(名号)について決定、信順し、さらにはまたその信に基づいて、報恩の称名が相続されてゆくというわけで、行前信後なる所信と能信の関係と、信前行後なる能信と能行の関係があるというのである。

  3 月珠における信の理解

 おなじく行をいちおうは称名と理解しながらも、またそこに名号の意味を認める豊前学派の月珠(1795〜1856)によると、その『広文類対問記』によれば、行とは、

「能所不二の称名を以て他力の大行となす。 (中略)此の称名は能所不二なり。故に念仏即ち南無阿弥陀仏と曰う。何故に能所不二なる、謂く能称功なき故に称即名、法体即行の故に名即称、何ぞ能所の異あらんや」(巻二の一丁)

と明かし、またその『行信義』では、

「能称所称全くこれ信体の露現、内にあるを大信とし、外に発するを大行とす。
唯隠顕の異のみ。
爾れば終日の称名、即ち是れ名号にして他力の妙行なり。
能称功なきがゆへに。また六字の名号当体大行即是其行。
能称の徳を具するが故に、名称一体能所不二。
豈に口称を待て後始めて大行を成ずるものならんや。
是を以って衆生の称名これを法体名号に合わせて、
以って所聞位に安じて、浄土真宗の行とす」

と説いている。

月珠にとっては、行とは能所不二の称名であって、称名はそのまま法体名号の顕現であり、名号またそのまますでに行を円満して、よく能称の徳を具しているというのである。

すなわち、行とは称即名、名即称にして、名号といいうるし、また称名ともいいうるものである。

ただこの『行文類』では、教義廃立の立場から(8)、それを能所不二なる称名として明かしたのみであるとするのである。

また信については、『広文類対問記』によると、

   「信というは決定無疑を名づけて信となす」(巻5ノ4丁)

と明かしている。

ここでもまた信の性格、意義については、ほとんど考察することもなく、簡単に決定無疑のことであると註するのみである。

 そしてこの行と信の関係については、『広文類対問記』によると、

「然るに行に二位あり。若し機受を論ずれば、信因称報にして行は必ず信に随う。真実信心は必ず名号を具す故に。若し法義に約せば、行表信裏、行は能く信を具す。故に専修と云うは唯仏名を称念して自力の心を離る。爾れば則ち大行は信を摂し以って教位に居す。信は能く行を具し以って機位に処す。是れ他力の行信なり」(巻4ノ5丁)

と説いている。

両者の関係は、法義についていえば、行表信裏にして、ただ仏名を称念して自力の心を離れることであり、機受についていえば、信因称報(信前行後)にして、真実の信心は必ず称名を具すということであると明かすのである。

この行表信裏という理解は、後に見るところの、僧叡における法相の表裡という理解にいささか相似するものであって、その学説に影響されて主張されたともうかがわれるのである。

月珠はまたその『行信両一念義』では、

「法界の化導は行一念に依って立ち、万機の趣入は信一念に依って成ず。此の行信の二門相得て、教相と安心と、機受と法義と周足して尽さざることなし。是れ釈迦が行信二法を開説して弘願の正意を顕し給ふ開説の正旨なり。そこで法は行一念が主、機はいつも信が主、行で教へて信で受く。伝化弘通の方ではいつでも行で、教える方は称へよ往生するぞと教へ、受くる方は機功を離れ願力を信受するなり」(真叢・附巻257)

と示して、法義の側からは、教義相対の上から称名往生と教えるが、機受の側からは、ただ願力に投託して、法体名号を信受するにはほかならないというわけである。

そしてまた、その信の一念については、『広文類対問記』に、

「初帰の一念は唯是れ無疑一心なり。行相見るべきは無しといえども、信中に行を具す。能く如実を成ず。また後に流れて相続す。信は常に行に随い、行を以って表と為し信は行の裏に潜む。口伝抄に是れを為表為裏と云う。初発と後流と表裏異なるといえども信行円具して始終別なし。

唯延促の異と為すのみ」(巻7ノ3丁)

と述べ、またその『行信義』にも、

「聞信一念かの法体を全領し、万徳円具して欠減あることなし。是を以って衆生いまだ口称せざれども、既に能称の徳を具す」

と語る如くに、信心開発の一念においては、事相としての称名はありえないとしても、そこには能称の功徳が具しており、それが後に発露して相続の称名となるというのである。

  4 深励における信の理解

 近世における大谷派の教学は、本願寺派の学轍分裂の状況に比すると、もっぱら高倉学寮の一轍を守って、ほとんど異を生むことがなかった。

ただ高倉一系の教学理解が相承されていったのであり、その中心的人物が深励(1749〜1817)である。

彼によれば、その『教行信証講義』によると、行とは、

「十七願成就の南無阿弥陀仏は、衆生に称へさする為の名号ゆへ行と云なり」(巻2ノ20)

「行のすがたを釈するときは、能行であれ所行であれ、無碍光如来の御名を称るが行のすがたなり。行は全体行業の義で、身口意の三業のわざにかかる処でなければ、行とは名けられぬ。故に行と名がつくは衆生の口に称へる処で名がつく」(巻2ノ19)

と明かして、いちおうは名号を行というが、名号それ自身については行とは呼ばれず、その名号が衆生をして称えせしめる行であるところから、それを行というわけで、行とは、まさしくは衆生の称名をいい、名号を行といいうるのは、それが衆生によって称えられるべきものであるという理由によるものである。

その点、『行文類』とは、名号(所行)と称名(能行)を明かすものであって、それは、

「能行所行、共に次の信巻に明す信心が為の所信なり。まぎれぬやうにいはば、所信の行を明す行巻と云べし。所行を明す行巻と云ては義がつきぬなり」(講義・巻2ノ18)

といって、『信文類』に対して、信じられる対象について明かしたものというわけである。

そのことは、より詳しくは、

「諸仏称讃の教への言とは、この名号をとなへるものを助けたまふぞと勧めたまへども、行者の方へうけとるときは、さてはかかるいたづらものも、称へるばかりで御助ぞと、本願力を信ずるとき、行者の方へうけとるは南無阿弥陀仏の名号たり。そこで所行を信ずるも、能行を信ずるのも、所信の体は、ただ十七願成就の南無阿弥陀仏の名号じや」(講義・巻1ノ47)

と明かされる如くである。そして信とは、その『唯信鈔文意録』によると、

「信の字に、まことと云う義と、疑はず誠にすると云う義との、二義のあること常のことぢやが、そのまことと云う義では、この信の字がうそいつはりを離れた真実のことになるなり。また疑はず誠にすると云う義では、この信の字が疑に対する言で、(中略)違れないことぢやと、まことにするのが、疑に対する信の字のこころなり。これは字書の中にも、この二義が判然としてあるなり。尤も仏経では、多くはこの信の字を、疑はずまことにすると云う義に遣ってあるなり」

と説く如く、信には、真実の義と無疑の義の二義があるが、仏教では多く後者の無疑の意味に用いるというのである。

そして親鸞における信とは、

「祖の信は、うたがふ心なきなりと云は必定して疑ひなきなり。本願のいはれ、名号のいはれをきき開て、いよいよたのむものを御助けぞと必定して疑ひのはれた心なり(中略)そこで信ずると云と、たのむと云とは、文字の義は違へども、体は一つの信の一念なり」(講義・巻3の73〜4)

と註して、本願、名号のいわれを聞きひらいて、決定、無疑になった心のことであるというわけである。

 そしてこの行と信の関係については、

「行巻に明す行は信巻の信心がための所信なり。此の趣きは行巻の初で弁じたり。所行を所信にすると、能行を所信にするとの二義門がある」(講義・巻6ノ9)

「然れば、行巻の所信、義解の辺では、所行を所信にすると、能行を所信にすると、二の義門があれども、安心にとりては、ただ一つの名号を信ずるなり」(講義・巻6ノ2)

などと明かす如く、行には所行(名号)と能行(称名)の二面があるが、何れもそれは信については所信の対象となるものであり、またそれは、

「第十八願の信行は、信を挙れば行が具はり、行を挙れば信が具る。かたつむりのまゆを出す如し。第十八願を念仏往生の願と名る時は、第十八が丸ながら、称名念仏で往生する事を誓ふた本願になる。本より信は離れぬ。また至心信楽の願と云う時は、第十八が丸々信心で往生する事を誓ふた本願になりてしまふ。本より行は離れぬ」(講義・巻6ノ21)

「行巻の行は、信に離れぬ行なり。信巻の信は、行に離れぬ信なり。(中略)行巻に行信とあるは行が主なり。その行に信が離れぬ故に行信不離。此の信巻に信行と信が主となりて、その信に行が離れぬゆへに信行不離。下の御自釈に真実信心必具名号、聞其名号信心歓喜の信心には、やがて称へる乃至十念の称名は自ら具りてあるゆへに、真実信心必具名号と云なり。今の願文に、若し乃至十念がなくば、信巻の信心は無行の信になる、単信の信になる。此の信巻の信は、無行の信に非ず、称る名号のもとより具る信心なり。故に此の乃至十念の文がなければならぬ」(講義・巻6の51〜2)

などと説いて、行を先きとして念仏往生と語る場合にも、その念仏(行)には信が離れず、また信を先きとして信心往生と語る場合にも、その信には念仏(行)が離れず、行信不離、信行不離であるというのである。

そしてその信の一念については、このように行信不離、信行不離を語るところからすれば、その信の一念にも称名を具すと理解するようであるが、その『一念多念証文記』によると、

「上尽一形をちぢめた処が乃至十念、其の十念を又ちぢめた処が行の一念。いま成就の文の一念はそれを又ちぢめて、一声をもとなへぬさきの信の一念。然ればいま一念と云ふは時の至極ちぢまりた処。南無阿弥陀仏の六字のいはれのききひらかれた初一念。となへぬさきの一と思ひの処ゆへ、時剋の極促なりと仰せられたなり」

「となへぬさきの一おもひの信の一念でも往生が定まる、と云ふことを説きたもふ成就の文の乃至なり。然れば乃至の言をおきたまふは、命のびなば自然と多念にのび行く称名のことをあらはせられた御言なり。よて此の乃至の言には、一生が間となへる、称へられるだけの称名がみなおさまりてあり」

と語っており、信の一念とは、称名も生まれぬ以前のひとおもい、のことであるが、そこにはまた生涯を貫く称名が摂在しているというところからすれば、それは法理同時としての称名を認めるもののようである。


三 いわゆる所行系における信解釈

  1 大瀛における信の理解

 真宗教学中において、もっとも明快に、行を名号と理解主張する■〔花±仍〕園学派の大瀛(1759〜1804)によると、その『大行義』によれば、行とは、

「真実大行とは、謂く至徳の尊号なり。是れ如来廻向の無礙の行なるが故に、行者の口称を須って方に行名を得るに非ず」(真叢・附巻11)

と明かす如く、それはまさしく名号であるというのである。

いわゆる法体直爾の大行説である。

親鸞の『行文類』に「大行者則称無碍光如来名」とあるのは、「本を以って末を摂し、末に寄せて本を顕さんが為めなり。

本は謂く名号、末は謂く称念、本末相依って他力の深義顕る」(夫行義・真叢・附巻13)という如く、ひとえに寄顕の文であって、大行とは名号にほかならないと主張するのである。

そして信とは、その『信一念義章』に、

   「信は決定と名づく」(真叢・附巻28)

と語り、また『浄土文類聚鈔崇信記』に、

「その名号を聞いて仏智満入す。是れを信体となす。信心歓喜とは、是れその信相なり」

と明かして、いちおうは、決定のことであり、信心歓喜のことであると理解しながらも、またその『浄土文類聚鈔崇信記』では、

「信とはまた三義あり。一には真実を義となす。二には忍可を義となす。三には楽欲を義となす。通途の論釈はただ後の二を存す。本願一乗は特に初義を得る。是を以って、後の二はまた自ら絶えて異せり」

「信心とは真実心なり。弥陀の真心、之を名号に形わして以って衆生の心中に投ず。衆生之を得るを、まさに信心と名づく」

と明かして、信とは、一般仏教においては、忍可、楽欲の意味があるけれども、真宗における信については、かかる意味はなく、まさしく真実心のことであるというのである。

すなわち、真宗において語られる信心とは、ひとえに阿弥陀仏の真実心、その示形としての名号が、衆生の心中に廻施され、それを領受したものであって、それはまさしく真実心といわれるべきものだというわけである。

 そしてその行と信の関係については、その『崇信記』によると、四種の関係があるとする。

すなわち、第一には行信門といい、名号が衆生の心中に投入されて信心となるという、行前信後の関係。

第二には信行門といい、行とは称名にして、信心の後に自から報謝の称名が発するという、信前行後の関係。

第三には各立門といい、行(名号と称名)と信とは、その相が別であって、はじめの行信門によれば、法体と機受の別があり、のちの信行門によれば、正因と報恩の別がある。

第四には相即門といい、行と信とは、その体は一であって、行信門によれば機法不二であり、信行門によれば、念声是一であって、それはついには名号に帰一する。

行信の関係はこの四種に摂まるというのである。

またその信の一念については、その『行一念義章』に、

   「行一念を判じて寄顕門と為す」(真叢・附巻15)

と明かして、行一念の文は寄顕であり、一声の称名に寄せて法体大行の、無上功徳を示し、また信後報恩の称名行の専念の義を明かしたものであるといっている。

かくして大瀛は、その『信一念義章』に、

「行一念の如きは専ら教に約して釈し、機上に就くに非ず、いま信一念は方に是れ機に約す。行信相対その義此の如し」(真叢・附巻26)

と語る如く、信一念における称名は、事相はもとより、法理としても具徳としてもまったく認めないわけである。

  2 玄雄における信の理解

 ■〔花±仍〕園学派ほど明快ではないが、同じように行を名号と捉える立場に立ちながら、また他方においては、称名の意味もいちおう是認する龍華学派の玄雄(1804〜1881)によると、その『本願行信旋火輪』によれば、行とは、

「この行は他力廻施の法体にして、直に仏名を指して行と名づく。宝章に、南無阿弥陀仏の行体、或いは往生の行とのたまへるこれなり。決して衆生称名行のことにあらず」

と語って、行とは称名にあらず、法体の名号と規定する。

そしてその行について、従来の教学が能行所行と分別することは、存覚の『六要鈔』の用例、意趣と相異するとして批判し、自らその行について、本行と末行の名目を立て、その本行とは、

   「一句尊号をさして行とするときのことなり」(旋火輪)

といって、第十七願の諸仏所讃の法体名号をいい、またその末行とは、

   「衆生の称名なり」(旋火輪)

といって、第十八願の乃至十念なる称名であるという。そして、

「その称名即ち弥陀廻向法故に、この義ある故に、本中摂末。もて所信所聞の法とするが、行巻の主とするところなり」(旋火輪)

と明かして、『行文類』の大行とは、本行の中に末行を摂したものであって、行とは、基本的には法体名号であるというのである。

そして信とは、その『本願行信旋火輪』に、

「信は信順無疑を義となす。有る人『六要鈔』二末、光記、百法疏、唯識疏をひいて、忍許、楽欲をもて信の義を解するをもて、之を信機信法に分ちて云々す。今は謂く然らず。(中略)若し他師を以って荘厳したくは、『四教義』五の五に曰く、信は順従を以って義となす、とあり。これよく終南の二尊の勅命に信順す、に合す。何んぞ取らざらんや」

「夫れ衆生の仏勅をうくるや、信順のほかなし。よって南無を帰命と翻じ、而して帰は帰依、帰順。命は即ち二尊の勅命なりと釈す。阿弥陀仏の仏体即ち全体施名と勅命に入り来りて、衆生の帰順を成ず。此れを信とす。この信豈江南の火をききて疑はざるの類ならんや。仏智満入を指して信心とする故なり」

と明かす如く、それは順従の義であって、仏の勅命に対していちずに信順、帰順することであり、それはまた更にいえば、衆生の心中に仏智が満入することでもあるというのである。

 そしてその行と信の関係については、その『本願行信旋火輪』によると、全信成行、全行成信の二句をもって説明されるという。

その全信成行とは、

「衆生唯信得脱の義を一名号に成じ、これを衆生往生の行体と定めて、十七願より諸仏をして称揚讃嘆せしめ給ふ。(中略)名号は衆生の唯信往生を成じて施行、流行と動ひて、機につたはる辺にて行と名づけ、而して之れを領受するや、ただ二尊の勅命に順従するのみなれば、信の目を立てるなり」

と語る如くに、法体名号なる行は、つねに動いて衆生の信心となり、その信心において、信心を体としてこそ、よく行は成就することをいい、ここに『行文類』所明の意趣があるというのである。

玄雄はまたその『旋火輪』において、そのことを「本行摂末信」とも釈しているが、法体名号がよく衆生の信心を摂していることを指すものであって、それはすなわち、行前信後の論理について明かすものと思われる。

またその全行成信とは、

「大行、先に述べる如く、唯信得脱の義なれば、そのまま機上に印現せる処の仏智満入を、信心獲得とす。今の全行成信是れなり」

と示す如くである。

法体名号の行が、よく衆生の心中に印現して信心の体となることをいい、『信文類』所明の意趣がここにあるというわけである。

それはまた「末信摂本行」とも釈されるが、信心には必ず法体名号を具すのであって、信後の称名というも、それは信心の得益にほかならず、その称名も法体名号の顕現であるかぎり、それはすなわち、信心は名号を具すというべきであるというのである。

すなわち、信前行後の論理を認めつつも、その行は、末行の称名にあらずして、本行の名号に帰結するというわけである。

そして玄雄はこの全信成行、全行成信の二句を合説して、

「二句は行信両巻の法相を尽して、行信二法、相全相成して、旋火輪の宛転始終なきが如し」(旋火輪)

と述べ、行と信、法体名号と衆生の信心とは、相全相成して、あたかも旋火輪の如くに、行−信−行と展転してゆくというのである。

その点、上に見た興隆における行信行の三法展転の論理と共通するものであるが、興隆においては、その行が基本的には称名と捉えられるのに対して、この玄雄においては、その行を法体大行に帰結して理解するところが相違するわけである。

そしてこの玄雄においては、信後における報恩の称名とは、信心の得益と理解するのであるが、その点、

「尽形の称名といへども、信が得益と知るときは、信一念処にありて尽し了る可し。何ぞ体具といはん。然りといへども、一念の信処に、相発の称名ありと云ふときは、忽ち信行同時の邪義となる。故に信が家の得益として、尽形の称名も具し了るといへども、相続の日多念の称名となる。何ぞ一念処に於て、之をみると云ふを得んや」(旋火輪)

という如くに、信の一念には、法体名号の本行を具すとはいうものの、末行としての称名はまったく認めないわけである。

  3 善譲における信の理解

 基本的には行を名号と捉えながらも、また他面それをつねに称名とも理解して、いわゆる能所不二の名号大行と規定する空華学派の善譲(1808〜1886)によると、その『本典敬信記』によれば、行とは、

「此の教行証の行は、能所不二鎔融無碍の大行。局って所とも取るべからず、また能行とも局るべからず。能とすれば能なり、所とすれば所なり。融通無碍にあつかはれるが、他力真実の大行と存ぜらるるなり」

「行者の能行、その儘所行の法体のままを用ゆ、是れ所行の処において、能行を立つるは、他力の至極なり。終日能行すれども、所行海を離れず。行ずれども行ずれども、行に行相なし、唯是れ選択本願の行のその儘顕われもてゆくなり」

などと明かされる如くに、法体名号をもって直ちに大行と捉え、その大行がつねに衆生をして信ぜしめ、行ぜしめつつあるのであって、行とは能所不二、鎔融無碍にして、能行、所行いずれの一方にも局るべきではなく、称名即名号、名号即称名であるというのである。

すなわち、能所不二なる名号直爾の法体大行を主張するのである。

かくして『行文類』の所明については、「所行を全うずる能行」を明かす面と、「能行を全うずる法体大行」を明かす面との二側面があって、前者は機位にして『行文類』に『信文類』が摂せられて念仏往生を明かす立場であり、後者は教位にして『行文類』は『信文類』に対する所信について明かす立場というのである。

そして信については、『本典敬信記』によれば、

「信と云うは、通途にては心の渾濁のとれたるを云ふも、弘願別途にて云へば、名号を聞信して名号の法徳全く心中に入りて、心の渾濁のすむ由れあり。二河譬に能生清浄願往生心とのたまふ。信罪福の濁れるこころより二河を恐れたるものか。遣喚をきき疑濁の全尽したるを能生清浄願往生心と云ふ。(中略)畢竟じて云へば、聞其名号信心歓喜にて、諸仏称讃の名号を聞きとどけたるが信心なり。故にその信と云うは諸仏所讃の名号を当てにし頼みにしたるなり。(中略)ゆへに唯信鈔にも相承して、頼むとのたまふ。頼むの言は信の字を能く顕はすの言なり」

と明かして、それは通途によれば心の渾濁を離れることであり、真宗においていえば、疑濁の全尽した清浄願往生心のことであるが、畢竟じていえば、名号を聞きとどけ、その名号を当てたより、頼むことであるというのである。

その点、能行系の信理解に比較すると、この所行系の信理解は、いずれも存覚において採用された仏教の基本的解釈とする忍許、愛楽の意味を否定していることは興味あることであり、また上に見た玄雄が帰順、信順とし、この善譲が当てたより、頼むことだとして、まったく対象的な憑依(たのむ)の心として理解していることは、充分に注目すべきことであろう。

そしてその行と信との関係については、その『行信弁』に、

「信行の所明に就いて略して二門あり。一に信行而二門、この一門は当体に別を弁ず、行信次第に約すれば則ち法体機受の別、信行次第に約すれば則ち正因報恩の別、信行二法、二法条然たり。二に信行不離門、この一門は当相に即を談ず、その体これ一なる故に義も亦随って融ず、行信を次第に約するときは機法不二なり、信行次第に約するときは念声是一なり、信行たゞ是れ南無阿弥陀仏」(真叢・附巻360)

と説いている。

同様な主張は、またその『略文類聚鈔聞書』巻二にも見られるが(9)、そこでは信行二而門と信行不二門とを語っている。

それらによると、信と行とは本来に不離であるとし、しかもその不離の内容については、信行二而門と信行不二門との二面があるというのである。

その信行二而門とは、二相不離のことで、信と行とは、その相は判然と隔別するものであるが、しかもまたその両者は不離であって、法体機受についていえば行前信後となり、両者機受についていえば信因称恩の信前行後となるというのである。

そしてまた信行不二門とは、融即不離のことで、信と行、信心と称名との間に当体全是の不離を語り、機法不二についていえば行前信後となり、両者機受についていえば念声是一にして信前行後となるというのである。

ことにその後者の機受における信行不二の主張は、善譲の行信理解の特色であって、その『略文類聚鈔聞書』によれば、

「心口異ありと雖も、心口の儘顕はれた声にして、その口称と心念と是一にして異なることなし」(巻3ノ44丁)

「火の炭に起り付きたるが如きものゆへに称名の当体即憶念と云うことを得る」(巻3ノ45丁)

「信心の水その儘称名の波となりてあるゆへ称名即憶念と云うことをうる」(巻3ノ46丁)

などと明かして、信心と称名とは「融即不離」であるというのである。

しかしながら、このように行信の融即不離を語りながらも、その信一念については、

「口称に出づべき由れを、そなへざるには非ずと雖も、初帰の処に、不称而称の称名を立て、信行具足を談ずべからず」(本典敬信記)

「初起の安心の如く、その場処を即称名とは申されぬ。その処に即称名をかけると即是其行が称名行にならねばならぬ。古来此の一義なきに非ざれども今の取らざる処なり」(略文類聚鈔聞書・巻3ノ42丁)

と説いて、初起の一念のところには称名は認めないとするのである。

とすれば、このような理解は、上に見た信行不二門、両者の融即不離の主張と矛盾するのではないか、それについて善譲は、「此の行をはなれずして、即是其行の行体に後々相続に流れ出でて報恩の称名となるべき徳はあくまでも具す。(中略)たとへば湛然たる水は未だ波たたずとも、その静かなる当位に波ありとは云ふべからず」(行信弁・真叢・附巻357)

と明かして、その信の一念には、いかなる意味においても称名は認めないが、その可称の徳はあるというのである。

称名という価値だけはあるというのであろう。

この行信の関係における信行二而門、信行不二門の主張が、あまりにも観念的理解に堕していることを物語るものである。


四 石泉僧叡における信の理解

 以上、概観した如く、近世真宗教学史においては、いわゆる能行系として行を称名と理解する立場、いわゆる所行系として行を名号と理解する立場、その何れの立場においても、行と信とは能所の関係において、さらにはまた教位と機位の関係において、つねに行は信の対象として捉えられているが、ひとり石泉学派の僧叡(1762〜1826)は、行も信も、ともに機受において、衆生における宗教的主体における事実として理解しており、それは真宗教学史上では特異な地位を占めるものといいうるであろう。

僧叡においては、行とは、その『教行信証文類随聞記』によると、

「行は能行なり。大行者則称无碍光如来名と。無碍光如来名は、教中に在り。教中に在る本願名号の体なり。称は此の方へ受取たのなり。称が表に立つなり。所行能行一つになりたれど、能行が表となる」

と明かして、明快に衆生の称名が行であると規定する。そのことは、

「真実の行信といふは、この二法はともに衆生の上にて説ける法門なり。(中略)願力を能被の法として衆生に授く、衆生それを受持して行信の二法となる。一つの願力二法となることは所在に従ひて之を分つ、その体はただこれ願力なり。本願の念仏といひ、弘願の信心といふ等見つべし。すなはち廻向の行信のこころなり」(柴門玄話・真叢・附巻46)

というところにも明瞭である。

すなわち、『教文類』に説くところの阿弥陀仏の本願力を受持することによって、行信の二法が成立するのであり、それが口にあるを行といい、心にあるを信と呼ぶというのである。

そして信とは、その『随聞記』によると、

「此の信と云ふも、自性の物柄を云と、心を掃除して清からしむるなり。心は心王なり。清からしむとは、心が澄んで奇麗になる。其れが信と云ふ物柄なり。業用を云へば、不信を対治して善を楽(ネガ)ふを業とす。不信と云へば疑惑なり。其の疑惑の反対が信なり」

「唯信仏語と真受けにする。故に信機なり信法なり。何にもつかへたこと無し。斯る機法の義を聞くが仏願の義を聞くなり。其れで心の内は澄み渡るなり。未聞の前は、機も法も濁り果てて、自身をも見限り詰めることも出来ずにありた者が、仏願の機法を聞て、心が澄んで来る。此れ信心の模様なり。心の澄浄なるが信の自性なり」

と明かしている。

他の学派における信解釈とは、明確に相違する特異な理解である。

ここでは仏教基本の信の定義に従って、信の自性とは心の澄浄なることであるとし、仏願の義理を聞いて、信機信法と信知の眼がひらけ、心の内が澄んでくることを信心というと述べるのである。

 そしてこの行と信の関係については、『随聞記』に、

「行信は離れぬ者なり。末灯鈔に信の一念行の一念等と、両一念不離の釈あり。此の不離にとりて両向あり。謂く向前、向後の二つなり」

と説いて、行信の不離を語りながら、その不離について、向前と向後の二面があるとするのである。

その向前とは、すでに上にも見た如く、教に対する立場を意味し、この教法に対しては、行信ともに機受の法であって、両者は不離であるといい、またその向後とは、下の証に向う立場を意味し、この証果に対しても、行信ともに正因の法であって、両者は不離であるというのである。

しかしながら、僧叡はまた、その行信不離について、

「然るに不相離の中、自から二義の次第ありて存す。二義と言うは、一には表裡なり、建立に由るが故に。二には初後なり、稟受に由るが故に」(文類述聞・巻2ノ4丁)

といっている。

これはいわゆる「法相の表裡」「稟受の前後」(柴門玄話・真叢・附巻47)と明かされる理解で、その法相の表裡とは、真宗教義の綱格において、教行証の三法をもって示すところの行(称名)を表とし、信(信心)を裡とした、行の中に信を摂した論理についていうものである。

この場合には、いちおうは『行文類』『信文類』と次第して、行前信後となるが、それはより本質的には「行中持信、行信同時に相応して在るものなり」(随聞記・真全26ノ100)と明かす如く、両者は同時相応するものというのである。

そしてまた稟受の前後とは、衆生が阿弥陀仏の願力を稟受するについての論理をいうものである。

その場合には、本願文に三心十念と明かす如く、先ず信(信心)が前であって、行(称名)が後となる。

これは伝統の信因称報の教説に同調したものであろう。

僧叡は、このように行信の関係を、両者不離と規定しつつ、さらには法相の表裡としての行信同時、稟受の前後としての信前行後を語るのである。

そして僧叡は、その信の一念について、

「此の行が信一念の処に在るは、何とも思い難きか。此れに就いて聞説称名法体無二なるを参得すれば、称名の名号と聞名の名号と其の体不二なり。故に一念の所に信も行も調ふたり。如来廻向の法をまるめて受け取る故、信は当体勿論のこと、後に在る行も揃ふなり」(随聞記)

と語る如く、信の一念とは、如来廻向の法を領受することであるかぎり、後に流出してくる称名行も、義としては当然に具しているというのである。


五 むすび

 以上、近世真宗教学史上の諸学派における行信思想、ことにその信の理解について概観してきたが、そこで明らかになったことは、その行については、それを人間の称名(能行)と捉えるか、仏の名号(所行)そのものとして捉えるか、またはその両者の折衷として能所不二なる行と捉えるかの三種のタイプが見られる。

しかしながら、その折衷説についても、なお厳密には、称名(能行)に傾斜するものと、名号(所行)に傾斜するものとがあって、微細には相違が見られるが、大きくいえば、この三種のタイプに分類できるのである。

しかも、その行は、基本的には、信に対する所信としての教位に位置するものであって、それを称名(能行)と捉える場合には、称名念仏往生の行道を意味し、それを名号(所行)と捉える場合には、名体不二なる法体名号それ自身を意味するというのである。

ただし、僧叡の理解のみは異っており、その行を称名(能行)と捉えながらも、それは信の対象ではなくて、信と同じ機位に属するものだというのである。

 そして信については、それを信の基本的な字義に従って、決定無疑と捉えるもの、また存覚(六要鈔)の理解に従って、忍許、愛楽と捉えるもの、また覚如、蓮如の理解に従って、帰順、たのむと捉えるものがあるが、それは基本的には、対象的信として、上に見た行(法体名号、称名往生)に対する無疑決定、さらにはそれに対する領納、帰順の心的態度を意味するものである。

ただし、それ以外に、信についての特殊な解釈として、大瀛がそれを真実心と捉え、また僧叡がそれを心の澄浄と捉えていることは興味あるところであり、ことに僧叡における心の澄浄という解釈は、仏教、さらには浄土教における信の本質を見事に捉えているわけであって、充分に注目されるべきところである。

次にこの行と信の関係については、親鸞の『教行証』の組織に基づいて、行前信後の関係を語り、その行を称名(能行)名号(所行)の何れに捉える場合でも、基本的には、それを教位の位置におき、信の対象として行前信後とする理解がある。

ただし、僧叡の理解が特異であることは上に見た如くである。

そしてまた行信不離の関係を語るものがある。

それは存覚の『六要鈔』の理解を継承するものであるが、またそれについては、南渓の如く、行前信後を認めた上で語るものと、深励の如く、行信と信行の両者にかけて不離を語るものとがある。

またそのような前後や不離を語らず、両者を同時として、その表裡の関係を主張する僧叡の説がある。

しかしながら、何れの学説においても、上の如き諸種の理解とともに、他面では共通に信前行後を語っているが、これは親鸞の原意趣とは異質でありながら、覚如、蓮如によって主張され、ついには本願寺教団の常教とされてきた信心正因称名報恩の教義理解に由るものである。

このことは、その何れもが伝統教学の体制内において成立していった学説であるかぎり、それぞれ独自な行信の関係を主張しながらも、またその反面において、この信前行後の関係も認めて、二重の関係を語らざるをえなかったわけであろう。

 そしてまた信の一念については、それに称名が法理として具っているとする説、そこには称名を如何なる意味においても認めない説、それに称名の徳のみは認めようとする説の三種類に分かれるが、この信の一念に称名を認める僧叡が、弘願助正義を主張して、信後の実践行を積極的に語るに対して、この信の一念に全く称名を認めない大瀛が、方便助正義、五念相発説を主張して、信後の実践行についての論理がいささか薄弱であることは注意される点である。

 何れにしても、近世真宗教学における行信理解はきわめて多様であるが、そこでは、すでに上に概観した如く、つねに親鸞の思想のほかに、覚如、存覚、蓮如の教学を、親鸞と同格に認めて、それらの間に介在する思想的矛盾や齟齬を、苦心して会通しようと試みているわけであって、従来において、この行信に関する理解が複雑をきわめ、それに対する理解が難渋であるということは、ひとえにこのことに基因するもののようである。

その意味においては、親鸞における行信理解を原点とし、覚如以下は、すべて真宗教学史上の一見解に過ぎないという立場に立つならば、この問題はきわめて明快に領解されてくるであろう。

今日における伝統教学は、いまもってなおこのような難渋なる近世以来の行信論を伝承しているが、そのことはまことに疑問である。

すみやかに真宗学の方法論、ことにはその真宗教学史の立場を明確化することによって、ただちに親鸞の原意趣に直参し、それに即するところの行信理解を確立してゆくべきであろう。

その点、上に見たところの僧叡の理解における、「法相の表裡」という名目を立てて明らかにしたところの、行と信とをともに機位において捉え、その両者についての同時相応を語る主張は、もっともよく親鸞の原意趣にそうものとして充分に評価されるべきものであると考えられる。




註 (1)拙著『現代真宗教学』九二頁以下参照。
(2)拙稿「覚如における信の思想」(龍谷大学論集第四二四号)参照。
(3)拙稿「存覚における信の思想」(真宗学七一号)参照。
(4)『実悟旧記』(稲葉昌丸編・蓮如上人行実一三四頁)参照。
(5)前掲書(七三頁)参照。
(6)結城令聞「宗論と本派宗学」(龍谷大学仏教文化研究所紀要・第二〇集)参照。
(7)拙稿「存覚における信の思想」(前掲)参照。
(8)月珠「行信両一念義」(真叢・附巻二五六頁)

(9)善譲『略文類聚鈔聞書』巻三の四十一丁以下参照。