【イスラム】
   <§ イスラム §>    

全人類へのイスラム

慈悲深く慈愛あまねくアッラーの御名において。
イスラムとは平和・従順・放棄・素直・受諾・純粋・遂行、アラビア語でal-Islam「平和である事」また「絶対に帰依する事」一切を上げて、神アッラーに任せ、他人に対して善行を施す事こそイスラムの真の意味である。

1-1 伝導の継続
神はこの世に時を越えて異なった使徒を送りたもうた。
ダビデ(詩偏)、モーゼ(法律五書)、イエス(福音書)そして最後の使徒(予言者)として全人類の為にマホメットと聖コーラン(啓典)を授けられた。
予言者マホメットは571年キリスト教時代であったメッカにて出生し、AD632年長逝、メデイナに埋葬された。
この最後の予言者に奉ずる者のみイスラム教徒(MUSLIMS)。
イスラムは決して新しき信仰を伝えるものでなく経典を有する一神教、即ち(ユダヤ教、キリスト教の)信仰を確認するものに他ならない。

1-2 神が述べたもう
言え、(マホメットよ)我々は神を信じ、我々に下されたもの、アブラハム、イスマイル、イサク、ヤコブ゙並びに各支族に下されたもの、モーゼ、イエス並びに預言者達に主より授けられたものを信じます。
我々はこれらの人々のうち、だれがどうと差別はしません。
我々は神に帰依します。(コーラン3-84)
神の自己啓示であるコーランにより、絶対帰依し服従する事、、、これが「イスラーム」その伝導は預言者マホメットにより確立され最終的なものである。

1-3 イスラム信仰の規約 イスラム教、二つの基本思想
信と行

イスラム信仰の基本として信ずるのみでは十分でなく勤行が伴わねばならない。
@、神
A、天使
B、啓典(聖典:詩篇、法律五書、福音書そしてコーラン)
C、預言者 (アブラハム、イサック、モーゼ、イエス、ソロモン、マホメット)
D、来世
E、天命

1-4 イスラムの基柱
教徒は信ずる事と共に五つの柱である行の勤めがある。
1、Shhadah信仰告白:アッラーの他に神はなく、マホメットはその使徒である。
2、 Salat 礼拝:一日五回神を拝む。
3、 Zakat 喜捨:宥恕と相互扶助及び貧困者への施し。
4、 Saum 断食:第9月ラマダン月は日の出から日没まで飲食を絶つ。
5、 Haji巡礼:ゆとりのできた者は一生に一度メッカ巡礼。
これらの宗教的教えを実践反復する事こそ日常生活である。
信仰ただ一筋、アッラーが唯一の神、永劫不滅のアッラー、全知全能のアッラーは天地大宇宙の根源である。

1-5 イスラムは人生道
イスラムはありとあらゆる人への明確なる導きである。
信仰を基盤とした社会共同体生活の倫理、経済、政治、道徳など広汎にわたり内容豊富にして霊的な導きである。
人間社会において、親類縁者、仲間との兄弟愛、神との信仰接触などの責任と義務に言及している。
人は有意義な生活を全うする為の知恵が授けられている。
道理を弁えて神の定めた一貫した宇宙の法則に遵奉するならば、人間の存在価値を高める事必定である。
神聖さと世俗的要素は人間の性癖として、共存している。

@ 神を信ずること
先ず第一に最大の信仰は一神教の原理である。
汝らの神は唯一なる神。
神はただ一つで、それ以外に神はない。
zat :本質sifat :特性af'al :働き
唯一の神、他にいかなる数々の神はありえない。
人間の神格化もありえない。
神が一つであるという事は、万物の主たる事において、それだけで充分である。

2-1 神の本質
神の本質はSurah Ikhlasコーラン信仰の清浄の章で約言されている。(コーラン112;1-4)
言え、「これぞ神にして唯一者、神にして永遠なる者、生まず、生まれず、一人として並ぶ者はない
神学者等はアッラーは3,000の名を持つと言われる。
1,000は天使にのみ知られ他の1,000は予言により、更に300はモーゼの法律書、300はダビデの詩書、300は福音書そして99がコーラン、以上2,999で、アッラーにより隠された一つの名はIsm Allalh al-a'zamこの固有の名が偉大な名前をなす。
それはコーランに言及されている。
尊き、神よ預言者マホメットを守りたまえ、アッラーの加護と平安を。
更に(コーランII:163)おまえ達の神は唯一の神、その他に、いかなる神もなく、慈悲深く慈愛あつき神。
また、イムラーン家の最初の章でもアリフミンアッラー、神の他にいかなる神もなく、アッラーこそ永生なるお方である。
アッラーとは神、本来の名である。
1.神は、その本質、属性において被造物からの類推を一切拒否する。
一方神は各人の真近にあり我々に直接関与する存在でもある。
2. 神は絶対唯一であり、神の力は普遍であり、この世に生起するもので一つとして神の意志と力によらないものはない。
3.神は久遠、無始無終、絶対であり、時、場所、情況にかかわらず偏在し、無限永劫。
4.子もなく親もなく、並ぶものなき超越神。
5.神は偶像や崇拝さるべき人物というものは絶対に排斥す。
普遍の力で万物の創造者、支配者である。
助力者や伴侶家族も必要としない。
偉大であり天地万物の創造者、支配者である神は全知全能で完璧であり高貴で優れた慈悲深いお方、配偶者はなく生まれも死にもしない。
万物を創造し天地を支配し最後の審判を行う。
信徒よ、アッラーは全知全能天地創造支配の主アッラーを比較するものや類依するものは全くない。

2-2 創造
神はすべてを熟知され創造された。
我らが人間を創造したのだ。
人間の魂が何をささやいているかぐらいは知っている。
我らは人間の頸の血管よりも人間に近いものである。(コーラン50:16)
アッラーはだれよりも身近におられる、我々が見そして知るものは神の創造物である。
例として、我々は物を見る事が出来るが自らの目を見る事は鏡か水面に映さねば見えないように秩序よい星などの天体行動、太陽、地球、月との距離、これら全てアッラーの力による証拠である。
もし太陽が僅かでも地球に近ずいたなら我々は燃え殻となってしまうだろうし、月がこの大地に接近したなら巨大な洪水となる。

2-3 神の特性
アッラーの特性はコーランの多くの箇所に述べられている。
学(al-Tauhid)として: 実在(Wujud)、 初めがなく(Qidam)、 終わりがない(Baga)、 形なし(Mukhalafuhulil hawadith)、 単身(Qiamuhubinafshi)、 高度な働き(Wahdaniah)、道具(Qudrat)、 知識(Iradat)、 不飲食(Mayat)、 聞く(Sami)、 見る(Basar)、 話す(Kalam)、あらゆることが可能である。
神は絶対的自由、神は人間理性の尺度を超越し、比べられるものは何も存在しない。
従って、人間はこの神に依存する以外に救われる道がないのである。

A 天使を信ずる事
MUSLIM イスラム教徒は天使の実在を信仰。(コーラン21:26)
「天使たちは、ただの尊敬すべき神のしもべである」そして(コーラン66:6) 信ずる者達よ、なんじら自身や家人たちを業火から守れ、業火の燃料は人間と石であるぞ。
業火の上には,はげしい恐ろしい天使がいて、神のご命令に背かず、命ぜられた通りのことを実行する。

3-1 天使の特質
天使には男女の性無く、自らの力も意志もない。
彼らは神に服従し、それぞれの命令を受け正確に実行する。
コーラン2:34で明らかにされている。
かくて、我らが天使達に、「アダムに跪拝せよ」と言うと、彼等は全て跪拝したがイブリースだけは別で、傲慢不遜(ごうまんふそん)な態度に出て不信者になってしまった。
天使達は地上に居ず天国より舞下る。
コーランでは、信者達の救いに天使を下されるが人の目には映らない。
神は,天使を遣わし預言者の心に啓示を伝えた。
あたかも唖が声無く言葉も無く合言葉手話で通じ合うごとく。
天使ジブライルが現身を借りて急遽マホメットに啓示を伝えたと言われるが、これは肉眼では見る事のできない霊魂によるものである。
マホメットが慈悲深い啓示を受ける以前に於いては誰も啓示を聞ける者も、天使を見る事の出来る者もいなかった。

3-2 天使は何から創造されたか?
天使は神の清浄な霊体として特別に創造されたもので、コーランに於いては、燃火の炎と塵埃からサタンとジン鬼が造られ、天使は神聖な光からつくられた。
従って天使と霊鬼の異なったグループが存在する。
天使の出生地についての指摘はない。

3-3 天使とその任務
アッラーの玉座における主たる天使達はコーランやハデイス(マホメットにおける伝承)に重要な存在として触れられている。
ジブライル:最上位のギブライルはルーアルアミンやルーワルフダスとか聖霊と呼ばれている。
主な任務は神の啓示を預言者に伝えた。
アダムには小麦栽培、鉄利用法や文字、そしてメッカ巡礼の儀式の指導など残り21の啓示をした。
ノアーには方舟の建造を指示。
炎からイブラヒムを救い、エジプトの魔術師に対抗しモーゼを助けた。
サムエルやダビデに鎧の作製を教え、紅海に於いてパラオ軍の滅亡でも貢献した。
ミカエル:神はミカエルに全宇宙の支配を命じた。(コーラン2:98)
神と、その天使達と、その使徒達と、ジブライルとミカイルとの敵となる者は誰か。
神こそ不信者どもの敵なのである。
イズライル: 死を司る天使として知られる。
それは神が人間を創造する時、素材となる一握りの土を持って来るようジブライルに命じた。
神により地球に天変地異が起こされた時、後生において神の反逆者となり、地獄で拷問を受ける恐れのあるkhalifahイスラム教主を創造する為の、いかなる素材をも採取せぬようジブライルは神に懇願したが、再び神の命を受け今度は実行すべく戻った。
又ミカイルやイスラフィルも命ぜられたが果たせず終わっている。
イズライルはそれらに耳をかさず一握りの土を神に届ける事を遂行した故、死せる人間の魂は、イズライルの司るところに帰した。
イスラフィル:最後の審判の為に現れ復活の時ラッパを吹き鳴らすといわれる。
ラッパを吹き鳴らした後についてはコーラン:69:13-20に陳述されている。
一度ラッパが吹き鳴らされた時、霹靂は天を揺るがし大地や山々は崩潰と衝撃に粉々と飛び砕ける。
天は火炎を吹き上げ噴煙濛々とし万物を焦がす。
その日にこそ一大事が起こる、天使達はその辺りに並び、八天使は汝の主の玉座を高く揚げる。
その日おまえ達は審判に引き出され、いかなる秘め事も、もはや隠す事はできない。
帳簿を右手に渡された者は言う、「さあ、みな私の帳簿を読んで下さい私はいずれ私の清算に出会うと思っていました」。
天使のなかには、墓中の死者を訪れて信仰の有無を調べるムンキルやナキール両天使がある事も信じられている。
他に天国の後見役ザバニヤとリズワンの二天使が知られている。
神に絶対服従する僕 安楽と苦痛を与える 悪に対し神聖な罪を 地上のものや罪人に代わって祈りとりなす 人の神聖な進歩を助く 人を高尚な行動に導く:そして 人の行動を記録する。

3-4 天使への信仰の意義
天使信仰は単に、顔を東や西(教えや規約)に向ける事ではない。(コーラン2:177及び2:285)
正しく仕えるとは、神と終末の日と天使と経典と預言者達を信じ、親族、孤児、貧者、旅人、乞食にそして奴隷達の為に自分の大切な財を分け与え、礼拝の努めを守り、喜捨をなし、又約束したならば、その約束を果たす者。
困苦と逆境、非常時に際しては耐え忍ぶ者。
これこそ誠実な者、神を畏れる者。
使徒並びに信者たちは主より下されたものを信ずる。
一人一人が神と諸天使と啓典と、もろもろの使徒を信ずる。
われらは使徒達の間でだれをどうと差別しない。
彼等は言う、「我々は聞き、そして従います。
主よ、なにとぞ御赦し下さい。
我々が行き着くところは、あなたのみもとです」。
さらにコーラン説明の章41:30に於いて、しかし、「我々の主は神である」と言って正道を歩むものには天使達が下り、「恐れるな、悲しむな、汝らに約束された楽園の福音を聞くがよい」。

B 啓典を信ずること
啓典の必要性コーランこそ正邪、善悪に関する人間のあらゆる価値判断の究極的基準であり、人間の行動における最高の拠所となるべきものだからである。(コーラン2:2ー4)
これこそ疑う余地なき啓典である。
これには畏れかしこむ人々の為のお導きがある。
すなわち、見えないものを信じ、礼拝の勤めを守り、我らが受けたものから施しをする人々、汝に下されたものと汝により以前に下されたものとを信じ来世を確認する人々である。

4-1 啓典
神がマホメット以前の預言者に下された啓典もイスラム教徒には信じられている。
    • Taurat モーゼの五書律法(旧約聖書)

    • Zabur ダビデの詩編

    • Injil キリストの福音書

    • Quran やFurqanコーランと預言者より以前の啓典。
      以上すべてコーランに指摘されている。

神は以前の、ものの確証として、汝にこの啓典を真実をもって下したもうた。
かって神は律法と福音書を下したもうた。
人々の導きとして、またフルカーンを下したもうた。
神よりのみしるしに不信の態度をとる者には、はげしい懲罰がある、神は限りない権能を持ち、報復したもうお方である。(コーラン3;3-4)
誠に、我らが汝に啓示したのは、ノーアとそれ以後の預言者達に啓示したのと同様である。
我らはアブラハム、イスマイル、イサク、ヤコブと各支族に、又イエス、ヨブ、ヨナ、アロン、そしてソロモンに啓示した。
又ダビデに詩編を与えた。 (コーラン4;163)

4-2 バイブルでのマホメット
旧聖典とし五書、新聖典として詩編と福音書をイスラム教徒は信じているが、それらは人の関与によって神は自己を顕した。
バイブルJohn 6;12-13私にはあなた方に言うべき事がまだ多くあるが、あなた方は今はそれに堪えられない。
けれども真理の御霊がくる時には、あなた方をあらゆる真理に導いてくれるであろう。
それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事を、あなた方に知らせるであろう。
この二つの節にJames M,Gray DDがバイブルの中の注訳でイエスの確証、新約聖書で、啓示の多くを残している。
その啓示は御霊が現れ完成されるとある。
御霊とは誰なのか。
それは現れたのだろうか。
原本は無く新たな確認はできなかった。
しかし最後の節において、彼が話した事はいかなるものも聞けたであろうが彼自身話さ無かった。
かくあれかし神の言葉が聖預言者マホメットに啓示された外だれも関係しない。
事実マホメットはSt.Barabas 163:180福音書に銘記されている。
イエスは答えられた:彼とは神の使徒マホメットである。
コーランにおいては,(コーラン5:50)いったい彼らはマホメット以前の裁きを願っているのか。
確かな信仰を持つ人々には、神より他にすぐれた裁判者はいない。
コーランでは二つの主旨を堅持。
真実かつ根源の伝達と解釈への看視(コーラン5:47)にて,福音書の民は、神がその中に啓示したもうたものによって裁くべきである。
神が下したもうたものによって裁かない者どもこそ邪悪の徒である。

4-3 啓示
(コーラン42-51)いかにして人間に啓示が伝えられたか。
神が人間にかたりたもうは、啓示によるか垂れ幕の後ろからか、あるいは、使徒をつかわし,お赦しによって欲したもうところを啓示されるかである。
誠に神は至高なお方、聡明なお方である。(コーラン5:3)
今やわしは、おまえ達の為に宗教を完成し、イスラムをおまえ達の為の宗教として是認した。
これは預言者への最後の啓示といわれ、神からの啓示による啓典を人が勝手に変えたり、疑ったり、違いを見出したり、懐疑者や偽善者、無神論者達が現れた時神の旗のもと、人類の調和に代わり是哀が世界に充満する。
神より真の啓典により知識を賦与された預言者に伝えられた。(コーラン16:64)
我らが汝に、この啓典を下したのは、彼らが論争している点を明らかにする為に又、信仰心のある人々への導きとなり慈悲ともなるようにする為に他ならない。

4-4 コーラン啓典
読め!創造主なる汝の主の御名において。
主は凝血から人間を造りたもうた。
読め!汝の主はいとも心のひろきお方、筆とるすべを教えたまい、人間に未知の事を教えたもうた。
マホメットが最初に啓示を受けたのはマホメットが41歳の時、断食月の17日夜ヒラー洞窟で天使ジブライルを介して伝えられた。
その夜「力の夜」と呼ばれ、その偉力は22年間に及ぶ。
メッカにて12年、メデイナ10年の22年間が経過しズルヒジャ(12月)9日ヘジラ歴第十年、預言者はハジアクバルやハジワダ達を率いての巡礼が、最後の啓示となった。
最後の啓示から81日後、預言者は63歳にて昇天長逝。
啓示は6,666の節によるが学派によっては6,240と言われる。
各節は読み書きできないマホメットの記憶に留められた物で後、信奉者達によって神の言葉はラクダの骨や洋皮や葉等に書き残された物で、又信者に誦記されていた物を寸分違わず原文のままに収録された。
コーランはスーラsurahと呼ばれる長短114の章からなり、メッカ時代の92章の啓示は概して短く、神の一元性や属性、人間の道徳的義務、来るべく審判の日等について述べられている。
これに対しメデイナ時代の啓示は概して長く、立法関係のものが多い。
イスラム暦25年(西暦505年)アルメニアの戦場やアゼルバイジャンを廻り帰国したフサイファアルジュマーンはカリフオスマーンにコーランの読誦の不統一さを報告した。
即座にカリフオスマーンはその編纂をサイドビンサーイドに命じ、その複本が配られた。
コーランこそ律法五書や詩編、福音書などの啓典の中でも最も完璧なものとされる。
今日においても1,400年以上に渡り原本のまま複本されて来ている。

C 預言者を信ずること
人間は全も優れた動物である。
しかしながら他の動物と異なって神より知恵を授かり、自己の行為に対して決断し、責任をもつ能力がある。
人は神の命令に従うことも背く事もできる。
コーラン2:30において:さて汝の主が、「わしは地上に代理者を置こうと思う」と天使達に言いたもうた時「私達があなたの光栄をほめ讃え、あなたを崇めておりますのに、どうして害をなし血を流す者を地上にお置きになるのですか」と皆が言った。
神は答えて言いたもうた、「わしはおまえ達の知らない事を知っている」。
コーラン2:38,39において;われらは言った「皆ここから落ちてゆけ。
しかし、わしからの導きがおまえ達のもとに届いた暁には,わしの導きに従う者にはなんの恐れもなく悲しむ事もないぞ。
信仰に背き、我らのしるしを嘘と決めつける者共は、業火の住人となって、そこに永遠に止まらねばならぬ」。

5-1 全ての預言者を信ずる事
イスラムはそれぞれの時代に神託が下された預言者を信じる。(コーラン4:150-15)
神とその使徒達を信ぜず、かえって神と使徒達の間を引き離そうとして、「ある部分は信ずるが他の部分は 信じない」等と言い、どっちつかずの道を取ろうとする者。
このような者こそ、真に背信者である。
我らは背信者の為に屈辱の懲罰を用意している。
神とその使徒たちを信じ、その間を引き離さない者、これらの者には必ず報酬が与えられる。
神は寛容にして慈悲深いお方。
ハデイス(伝承)では預言者は124,000人、しかしコーランにおいては25名:アダム、ノーア、フード、サリー、アブラハム、ロート、イスマイル、イサク、ヤコブ、ジョセフ、スアイブ、ヨナ、ジョブ、モーゼ、アーロン、ダビデ、ソロモン、ザカリア、ヨハネ、エリア、エゼキエル、エリシャ、イドリス、イエス、そしてマホメット。
神よりマホメットへの啓示。(コーラン40:78)
我らは、汝より以前にも使徒達を遣わした。
その一部については、すでに汝に話してやった。
又一部は、まだ話していない。
どの使徒も、神のお許し無くしてはみしるしを現す事はでき無い。
さて、神のご命令が下れば、万事は真理によって裁かれる。
虚偽にこだわる者は、ここにおいて滅びる。
イスラム教では天啓の書を授けられた預言者、又神の全の使徒は人間であり、その存在を信じている。
これによりユダヤはイエスとマホメットを拒絶し、キリスト教ではマホメットを拒絶し、彼の法に従わないモーゼも拒絶している。
神は幾つかの方法で預言者達に啓示を与えた。
イスラム教徒は人を導く神の使徒すべて受け入れ信じている。(コーラン2:136-138)
言え、「我々は神を信じ、そして我々に啓示されたものをアブラハムとイスマイルとヤコブと諸々の支族に啓示されたものを、モーゼとイエスに与えられたものを信ずる。
また諸々の預言者が主から与えられたものを信ずる。
我々はこれらの間で、だれかれの差別はしない。
我々は神に帰依する」。
そこでもし彼らがおまえ達と同じ信仰に入るならば、彼らは既に正しい道に導かれているのである。
しかしもし背を向けるならば彼らは明らかに仲間割れした者共である。
彼らの事は汝が神にお任せすれば十分であろう。
彼はあまねく聞き、よく知りたもうお方である。
神の色染めというが、誰が神に勝り得るか。
我々は神を崇めまつる。

5-2 預言者の特性
預言者は完璧な人間と考えられ、あらゆる言行は、言動の模範をなすものと考えられる。 (コーラン21:7,8)..
汝より先に遣わされたものみな、われらが啓示を授けた、ただの人間に過ぎなかった。
もしおまえ達が知らぬならば、訓戒の民に尋ねてみよ。
われらは彼等を食べ物も取ら無い躯には造らなかった。
又彼らは不滅のものではなかった。
人として:Siddiq誠実で公正、Amanah信頼、Tabligh伝導、Fatanah聡明、Sinless過ち犯さず。

5-3 奇跡
預言者の日常生活において、モーゼが海を裂きファラオ軍を溺死させ、ユニスは魚の口から救出し、イサは死からの生還をなさせ、あらゆる煩いを快癒させ盲人に視力を与えた等の奇跡は見いだせない。
預言者は善行と布教に努めたのみ。
「百聞は一見にしかず」奇跡とは才能を発揮し、最善を尽くす事である。
イスラムの奇跡は聖コーランである。
個人、家族、民族の壁を超越し人類の向上を計り精神、力、知識等の知覚を促す道しるべである。

5-4 預言
奇跡とは神の超自然な意志と力によるもので、その叡智は過去を基幹とし現在から、より良い未来へと使徒によって導かれる。
イスラムの預言の勝利は聖コーランにおいて評価される。
これらの預言はマホメットが多信論や偶像崇拝の巨大な力に対抗した時であった。
マホメットは万人に、神に従い善行を尽くす真の預言の導きに成功した。
よって、マホメットはこの世の預言者となった。(コーラン25:1)
万人への警告者となしたもう為、僕にこのフルカーンをお下しになったお方に祝福あれ。
ノアー、フッド、サレー、シュアブ等は前預言者とされ、またモーゼは民を暗黒から光明へ導き、イサはイスラエルの民を導いた。(コーラン14:5)
我らは、いろいろなしるしを持たせてモーゼを遣わした。
いわく、「おまえの民を暗黒から導き出せ。神の日々を思い出させよ」
この教えには、全ての忍耐強く感謝の念深き者へのみしるしがある。

5-5 予言の終局
この世の預言者として現れた人間マホメット。(コーラン2:213)
「人間はかって一つの民族であった」。
神は預言者達を遣わして喜びを伝えさせ、あるいは警告させ、人々の論争を裁定する為に、真理の啓典を預言者と共に下したもうた。
ところが、明らかな、みしるしが下されているのに人々はかえって互いの不正の為に相争った。
神は信仰深く敬虔なる者だけを宥恕され彼らが争った真理へ導きたもうた。
神は欲したもう者を正しい道に導きたもう。
唯一の神(コーラン5:3)今やわしはお前達の為に宗教を完成し、お前達の上にわしの恩恵を全うした。
完全な宗教としてのイスラムゆえに、それは預言者マホメット以外を必要としない。
マホメットはキリストより600年後に出現して以来、既に1,400年以上経過したがマホメットに代わる預言者の到来はない。

D 来世を信ずること
イスラム教徒は見る事の出来ない神を信ずると同様、来世をも信じている。
しかし死後を語り得る生還者は、未曾有である。
コーラン23:99,100において:やがて彼らのだれかが死に臨むとき、こう言うであろう。
「主よ、私を帰らせて下さい。放置していた事について,必ず善を行います」
決してそうではない。
その言う処は単なる言葉だけである。
復活させられる日迄、彼らの後ろには障壁がある。
これらの節から来世とは死直後の生活の継続であり、墓の中では死と復活の中間である。
地上の世と異なり永遠で、より高度の生活の為、この世はつかの間の準備期に過ぎない。
地上での、我々の行為の結果は死後に裁定される故、道徳的な生活を営む必要がある。

6-1 肉体と精神の育成
我々の肉体と精神の発達段階についてコーランでは3段階とし、神により塵や土を素材に魂の息が吹き込まれ、胎児となり、そして誕生。
肉体 胎児 誕生
段階 準備 形成 育成
精神 復活

我々の先祖アダムは大地や塵から創造された事は皆知るところである。
土が形を造る素となり、人体形成への準備である。(コーラン23:12、13、14)
我々は土の精髄から人間を造った。
ついで、それを一滴として堅固な宿所に置き、その一滴から凝血を造り、そして凝血から肉塊を造り肉塊から骨を造った。
それから骨に肉を着せ、ー誕生こうして彼を一個の他の生き物として造り出した。
もっともすぐれた創造者なる神が崇められん事を。
人間死後の状態は現世の生活における精神状態を反映するものである。
そして一定の合間をおいて、おまえ達は死ぬ。(コーラン23:15)

6-2
我々の肉体として発達した土の死は来世への高度な生活の始まりである。
この世での生きざまが直ちに天使により秤にかけられ、この世での、我々の全ての善悪行為があばかれる。

6-3
死んで、彼が楽園の住人であれば神に会う事があるが、地獄の住人であれば会えない。
復活日に神から最後に呼び出され、彼の住居が決まる。(コーラン32:17)
だれ一人、その所業に対する報酬として自分の為に隠されている喜びが何であるか知る事は出来ない。

6-4 復活
コーランによると、全ての業因が測定され、不義と信仰が復活への審判の対象とされる。(コーラン75:6-11)
「復活の日とは、いつの事か」等と尋ねる。
目がくらむ時、具来の光が消え、太陽と月が一つに集められる時、その時になって、人間は、どこか避難する所は無いか等と言う。
いや、とんでもない事。
避難する所など全然ない。(コーラン75:20-25)
おまえ達は、あわただしい現世を愛して、来世の事は放っている。
その日、幾つかの顔は輝き、その主を仰ぎ見る。
その日幾つかの顔は曇る。
汝は何かの災難が、そうさせたと思うだろう。(コーラン18:49)
そこで記録が出されると、罪を犯した者共がそこに記されている事におののく様が見えるであろう。
そして言う、「ああ、禍なるかな。いったいこの記録はなんたる事か。大は勿論些細な事までも、一つ残さず数えたててあるとは。」
23:102、103査定の日、善行を積んで来た者は、量目が重く栄える。
量目が軽い者は、自分自身を失い、地獄に永遠に止まる。
真に現世での我々日常の行為が、死後直ちに示され査定対象とされる。
いかに神は我々の行為を秤にかけられるのか?地上での生きざまを量られた時、復活し報酬が与えれられるであろう。
預言者が伝承の中で「神は申された、私は人間には感じ得ず、見えず、聞こえないところの公正な召使い達によって準備して来ている」。
更に、イブンアバスによると:楽園での食物は現世での食べ物と異なり、復活以降は、すべて新天地楽園での物による生活となり、この世の空間や次元は当てはまらない。
男女の関係も清らかで出産も生じない。
実例として楽園での喜びと地獄での刑罰は何人も描き得ない。(コーラン32-17)
だれ一人、その所業に対する報酬として自分の為に隠されている喜びが何であるか、知ることはできない。
楽園の住人秤にかけられ全般的に善行が、悪行より重ければ楽園に居住し、又この世での信仰の厚さによっても加減される。
神とこの使徒の言付けを守る者は、神が恩恵を垂れたもうた預言者達、誠実な人達、殉教者達、善行者達の仲間に入る。
これらの人々は何と立派な仲間である事よ。(コーラン4:69)
敬虔な者は泉のある楽園に入れられる。
「心穏やかに安心してそこに入りなさい」我らは彼らの心にある憎しみを取り除いてやるから、皆兄弟の様に寝椅子の上で対面する。
そこでは疲労を覚える事なく、追放される事もない。
おまえ達の所業の報酬としておまえ達が継承する楽園というのは、この事であるそこの果物の豊かさに満足する事であろう。
イスラムでは地獄の罪も決して永久的なものではなく、罪が消滅すれば、霊は大なる目的に向かって旅立てる。
神は慈悲深いお方。
言え、おお、自分の魂を浪費し過ぎた我が僕達よ、神のお慈悲に望みを捨てるな。
神は罪悪すべてをよく赦したもうお方である。
助ける事のかなわぬ懲罰がおまえ達に加えられる前に悔悟して、主の方へ顔を向け、主に寄依したてまつれ。(コーラン39:53,54)

6-5 地獄での生活
後悔する事なく死んだ罪人は地獄の移住者となる。
地獄こそ、その様な者すべてに約束された所、そこには7つの門が在り、それぞれの門に彼らが振り分けられる。
地獄の者共とは無神論、多信論、不道徳や種々罪悪行為を続けた者共である。(コーラン15:43,44)
コーランに地獄についての7種、それぞれの名称と説明がある。
飛び跳ねる炎の激熱(Jahim)、すべてを溶かす劫火(Saqar)、吹きまくる火炎(Laza)、深い落とし穴(Jahannam)、粉砕釜(Hutana)、爆火(Sa"ir)、底なし穴(Hawiah)。
地獄で罪人が投げ込まれる粉砕釜とは、(コーラン104:4-9)彼らは粉砕釜に投げ込まれるのだ。
粉砕釜が何であるかを何が汝に知らせるのか。
焚き付けらた神の火、心臓の上にまで這い昇り、彼らの頭上に蓋をして、果て無く続く柱の列となる。
信者と不信者の事(コーラン22:19-22)この両者は、主について互いに相争う敵同士である。
不信者の為には火の衣服が仕立てられ、その頭上から熱湯が注がれる。
その為に彼らの内蔵も皮膚も溶けただれる、また彼らの為に、鉄の棍棒もある。
苦痛の為にそこから脱出しようとする度に、突き返される。
「火あぶりの懲罰を味わえ」

6-6 彼らの飲食と食べ物(コーラン37:62-67)
ザックームの木がよいか。
我らはザックーム木を不義をなす輩の為に懲罰として造ってやった。
それは地獄の底に生える木で、その果実はあたかもサタンの頭のようである。
彼らは、その木の実を食べ、胃袋を満たし、その上に熱湯を飲まされる。
コーランの幾つかの章に罪人の地獄におけるありとあらゆる苦痛に悩まされる状況が述べられている。(コーラン4-56)
我らのしるしを信じない者は、いまに火に投げ込んでやる。
皮膚が焼けただれる度に我らは何度でも皮膚を取り替えて、彼らに懲罰を味わわせてやろう。
誠に神は威力あり、聡明であらせられる。
コーランでは来世が現世の延長に過ぎないこと人間死後の状態は現世の生活における精神状態を反映するものである事、来世において、その報いを受けなければならない。(コーラン17:13、14)
我らは全ての人の首にめいめいの鳥(運命)を結び付けておいた。
復活の日に、我らはめいめいに一巻の記録を開いたまま出して実見させる。
「さあ、おまえの記録を読め。今日は、おまえの清算はおまえ自身で十分である」

E 天命を信ずること
真のイスラム教徒は神の命による天命を信ずる。
人事を尽くして天命を待つ。(コーラン25:2)
彼は一切のものを創造して、規則正しく秩序ずけたもう。
さらに(コーラン36:38-40)により;
「また太陽は、その定められた周期を運行する。これも力強いお方、全知なるお方の掟である。そして月もある。われらは月が枯れたなつめ椰子の古枝のように曲がって元に戻るまで、かずかずの天宮を定めた。太陽は月に近寄ってはならないし、夜は昼に先行してはならない、おのおのの軌道を泳ぐ。」
地球引力の自然法則は、何物でも、何時でも、破壊に導く事ができる。
我々が救われている事は神の慈悲の贈物である。
自然界征服の為に必要な理知を神は人に授けた。
以来人間はいかに未知なる原理を究明したか。
近代科学を結集して月への到達を可能ならしめた事は証拠の一つである。
唯物的恩恵を享受せしも、なおかつ生物との共存共栄、また人として道徳的、霊的、高揚の為に神の導きを必要としている。
コーラン95:4では;
「われらは人間を最も美しい姿に造った」姿とは性質、体格、均整も含まれ自由裁量と意志と、それに伴う責任が課せられた。
我々を取り巻く現象世界における事物を観察し熟慮するならば、その中に深い精神的真理を学ぶ事ができる。

7-1 神の啓示によるコーランの導き、(コーラン5:15、16)
「啓典の民よ、おまえたちが経典(旧約聖書および新約聖書)について隠してきた多くの部分を明らかにし、又多くの部分を抹消する為に、我らの使徒が、おまえ達の元に来たのだ光明と明白な啓典とが、神のみもとからおまえ達のもとに授けられたのである。
これによって神は、み心に適う者を平安の道に導き、お許しを与えて暗黒から光明へと、正しい道に導きたもう。
背信の態度をとる者共は正しい道から迷い去ってしまうだろう。」
真のイスラム教徒は:彼らの失敗や成功、破産や繁栄は能力を試練する機会と解する。
我々は目的に対し正しい天命を与えられて来た事をここに知る。(コーラン2:286:)
「神は各人に能力以上の負担を負わせたもうことはない」我々は努力によって報いを得る事ができるもので、この思想こそ積極的な意味の天命観を示す。
報いを得る為の努力を伴う修業の必要なことを示す。(コーラン65:15:-)
「おまえたちの財産や子供は一つの試練に過ぎない。
神のみもとにこそ偉大な報酬がある」我らは行動の自由を有する。
ただし我らの意志は常に或る外面的原因によって制約される。
たとえば誰かが愉快なものを見るとする。
我らは不知不識にて、これに惹付けられる。
我らの意志は、是くのごとく外部の原因によって縛られる。
唯だアラーのみ、我らには神秘なるこの必然的連繋を預め知りたもう。
我らの意志と外面的原因との関係は、自然の法則によって定められている。
この自然の法則を天命。
神、天使、啓典、預言者、来世、を信ずると共に神の命による天命を信ずる。
すべてのイスラム教徒に信仰の柱とし制定する。(コーラン35:8)
「悪行を虚飾で飾り、それを善行のように思っている者はどうか。
神はみ心のむく者を迷わしたもうし、また、導きたもう。
よって、汝の魂が彼らの為に消耗しないように心せよ。
誠に神は彼らの所業をよく知りたもう!」