種田山頭火句集『草木塔抄』他   

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種田山頭火と『草木塔』について【縦書き】へ

◆『草木塔』は、種田山頭火(1882−1940)の生涯を代表する句集である。
初の句集『鉢の子』を刊行したのが、50歳のとき。
『草木塔』は続く同題の第二句集『草木塔』を含む6つの句集を晩年にいたって集大成したもので、
山頭火の死の年、1940年に東京八雲書林から発行された。山頭火57歳の4月のことである。
◆山頭火、本名種田正一は、山口県佐波郡(現防府市)生まれ。
母の自死や家の破産など波乱多き生涯を送り、1925年、43歳のときに出家得度。
以後、乞食僧として日本各地を放浪した人である。
『草木塔』におさめられた句はそれ以後につくられたもので、句作の師である荻原井泉水の薫陶を
受けて、いわゆる自由律の俳句にそれまでにない新しい境地を開いた。
彼の句によって、俳句は近代人の内面の奥深い声から生まれた「うた」となった。
◆原本『草木塔』には701の句がおさめられているが、この青空文庫版『草木塔・抄』には
うち150句を、さらに『草木塔』以後の作品である24句を収録した。

『草木塔』より 若うして死をいそぎたまへる 母上の霊前に本書を供へまつる  大正十四年二月、いよいよ出家得度して肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、 それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 松はみな枝垂れて南無観世音 松風に明け暮れの鐘撞いて ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる  大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。 分け入つても分け入つても青い山 しとどに濡れてこれは道しるべの石 炎天をいただいて乞ひ歩く  放哉居士の作に和して 鴉啼いてわたしも一人  生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義) 生死の中の雪ふりしきる  昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。 踏みわける萩よすすきよ この旅、果もない旅のつくつくぼうし へうへうとして水を味ふ 落ちかかる月を観てゐるに一人 ひとりで蚊にくはれてゐる 投げだしてまだ陽のある脚 山の奥から繭負うて来た 笠にとんぼをとまらせてあるく まつすぐな道でさみしい だまつて今日の草蛙穿く ほろほろ酔うて木の葉ふる しぐるるや死なないでゐる 張りかへた障子のなかの一人 水に影ある旅人である 雪がふるふる雪見てをれば しぐるるやしぐるる山へ歩み入る 食べるだけはいただいた雨となり 生き残つたからだ掻いてゐる  昭和四年も五年もまた歩き続けるより外なかつた。あなたこなたと九州地方を流浪したことである。 また見ることもない山が遠ざかる 注)「昭和四年も…」という前書は、この句に先立つ句「わかれきてつくつきぼうし」に添えられて いたものである。句の理解のために「みた見ることもない…」の前に入れた。 こほろぎに鳴かれてばかり れいろうとして水鳥はつるむ 百舌鳥啼いて身の捨てどころなし どうしようもないわたしが歩いてゐる ぶらさがつてゐる鳥瓜は二つ すすきのひかりさえぎるものなし すべつてころんで山がひつそり けさもよい日の星一つ つかれた脚へとんぼとまつた 捨てきれない荷物のおもさまへうしろ 法衣こんなにやぶれて草の実 岩かげまさしく水が湧いてゐる ここに白髪を剃り落して去る 秋となつた雑草にすわる 年とれば故郷こひしいつくつくぼうし それでよろしい落葉を掃く しみじみ食べる飯ばかりの飯である 酔うてこほろぎと寝てゐたよ 物乞ふ家もなくなり山には雲 あるひは乞ふことをやめ山を観てゐる  述懐 笠も漏りだしたか  昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかつた。 またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。  自嘲 うしろすがたのしぐれてゆくか 鉄鉢の中へも霰 いつまで旅することの爪をきる よい湯からよい月へ出た 笠へぽつとり椿だつた いただいて足りて一人の箸をおく 秋風の石を拾ふ 雨ふるふるさとははだしであるく ゆふ空から柚子の一つをもらふ 茶の花のちるばかりちらしておく 月が昇つて何を待つでもなく 水音しんじつおちつきました 雪空の最後の一つをもぐ 其中雪ふる一人として火を焚く 雪へ雪ふるしづけさにをる 雪ふる一人一人ゆく 茶の木にかこまれそこはかとないくらし ぬいてもぬいても草の執着をぬく すずめをどるやたんぽぽちるや もう明けさうな窓あけて青葉 けふもいちにち誰もこなかったほうたる 松風すずしく人も食べ馬も食べ 何が何やらみんな咲いてゐる あざみあざやかなあさのあめあがり ひとりきいてゐてきつつき 雲がいそいでよい月にする いつも一人で赤とんぼ 春風の鉢の子一つ わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく  帰庵 ひさびさもどれば筍によきによき びつしより濡れて代掻く馬は叱られてばかり 笠をぬぎしみじみとぬれ 家を持たない秋がふかうなるばかり  行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、 人つひに孤ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。  昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに住むことが出来たのである。 曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ  私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。 今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。  「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。 「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。 これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水−−それが私の境涯でなければならないから。 (昭和八年十月十五日其中庵にて、山頭火) 注)この文は、原本では「行乞途上」の章の末尾に置かれている。 日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ 手がとどくいちじくのうれざま ふと子のことを百舌鳥が啼く 山のあなたへお日さま見おくり御飯にする 人を見送りひとりでかへるぬかるみ 月夜、あるだけの米をとぐ 空のふかさは落葉しづんでゐる水 なんといふ空がなごやかな柚子の二つ三つ ここにかうしてわたしおいてゐる冬夜 焚くだけの枯木はひろへた山が晴れてゐる 雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ 寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない  病みほほけて信濃より帰庵 草や木や生きて戻つて茂つてゐる 病みて一人の朝がゆふべとなりゆく青葉 影もはつきりと若葉 うれしいこともかなしいことも草しげる ひとりひつそり竹の子たけになる 炎天のはてもなく蟻の行列 いつでも死ねる草が咲いたり実つたり 日ざかり落ちる葉のいちまい 草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ 秋風の、腹立ててゐるかまきりで  郵便屋さん たより持つてきて熟柿たべて行く ともかくも生かされてはゐる雑草の中 昼寝さめてどちらを見ても山 よい宿でどちらも山で前は酒屋で すわれば風がある秋の雑草 木の葉ふるふる鉢の子へも この道しかない春の雪ふる けふはここまでの草鞋をぬぐ 乞ひあるく水音のどこまでも 山しづかなれば笠をぬぐ  私はやうやく『存在の世界』にかへつて来て帰家穏座とでもいひたいここちがする。 私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。 在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、 在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。  在るべきものも在らずにはゐないものもすべてが在るものの中に蔵されてゐる。在るものを知るとき すべてを知るのである。私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはゐないものから 逃れようとするのではない。『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。  うたふものの第一義はうたふそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければ ならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。 (昭和九年の秋、其中庵にて、山頭火) 注)この文は、原本では「旅から旅へ」の章の末尾に置かれているものの一部分である。 なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく 悔いるこころに日が照り小鳥来て啼くか 枯れゆく草のうつくしさにすわる 枯木に鴉が、お正月もすみました ひとりたがやせばうたふなり 照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき 空へ若竹のなやみなし 木かげは風がある旅人どうし 死んでしまへば、雑草雨ふる 死をまへに涼しい風 おもひおくことはないゆふべの芋の葉ひらひら  私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、 生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。  或る時は澄み或る時は濁る。−−澄んだり濁つたりする私であるが、澄んでも濁つても、 私にあつては一句一句の身心脱落であることに間違ひはない。 此の一年間に於いて私は十年老いたことを感じる。(十年間に一年しか老いなかつたこともあつたように) そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を 恥ぢ入るばかりである。 (昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ、山頭火) 注)この文は、原本では「雑草風景」の章の末尾に置かれているものの一部分である。  昭和十年十二月六日、庵中独座に堪へかねて旅立つ 水に雲かげもおちつかせないものがある たたずめば風わたる空のとほくとほく また一枚ぬぎすてる旅から旅  甲信国境 行き暮れてなんとここらの水のうまさは のんびり尿する草の芽だらけ  自責 酔いざめの風のかなしく吹きぬける  自嘲 影もぼそぼそ夜ふけのわたしがたべてゐる  自画像 ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で しみじみ生かされてゐることがほころび縫ふとき 春風の蓑虫ひよいとのぞいた 風の中おのれを責めつつ歩く ゆふべなごやかな親蜘蛛子蜘蛛  母の四十七回忌 うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 窓あけて窓いつぱいの春  自嘲 初孫がうまれたさうな風鈴の鳴る 葦の穂風の行きたい方へ行く どこからともなく雲が出て来て秋の雲 ごろりと草に、ふんどしかわいた  老ルンペンと共に 草をしいておべんたう分けて食べて右左 うまれた家はあとかたもないほうたる  孤寒といふ語は私としても好ましいとは思はないが、私はその語が表現する限界を彷徨してゐる。 私は早くさういふ句境から抜け出したい。この関頭を透過しなければ、私の句作は無礙自在であり得ない。 (孤高といふやうな言葉は多くの場合に於て夜郎自大のシノニムに過ぎない。)  私の祖母はずゐぶん長生したが、長生したがためにかへつて没落転々の憂目を見た。 祖母はいつも『業やれ業やれ』と呟いてゐた。私もこのごろになつて、句作するとき (恥ずかしいことには酒を飲むときも同様に)『業だな業だな』と考へるやうになつた。 祖母の業やれは悲しいあきらめであつたが、私の業だなは寂しい自覚である。私はその業を甘受してゐる。 むしろその業を悦楽してゐる。 (昭和十三年十月、其中庵にて、山頭火) 注)この文は、原本では「旅心」という章の末尾に置かれているものの一部分である。 寝床まで月を入れ寝るとする  身辺整理 焼いてしまへばこれだけの灰を風吹く 啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない  木曽の宿 おちつけないふとんおもたく寝る けふの暑さはたばこやにたばこがない  所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう。 (昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にて、山頭火) 注)この文は、原本の末尾に置かれているものの一部分である。
『草木塔』以後 朝焼のうつくしさおわかれする 秋空ただよふ雲の一人となる  牧水の歌を誦して 秋ただにふかうなるけふも旅ゆく 死をひしひしと水のうまさかな  十月廿八日九日  野宿 まどろめばふるさとの夢の葦の葉ずれ いちにち物いはず波音  昭和十四年臘月十五日、松山知友の厚情に甘え、縁に随うて、当分、或は一生、滞在することになつた。  一洵君におんぶされて(もとより肉身のことではない)道後の宿より御幸山の新居に移る。 新居に高台ありて閑静、山もよく砂もきよく水もうまく、人もわるくないらしい。老漂泊者の私には 分に過ぎた栖家である。よすぎるけれど、すなほに入れていただく。松山の風来居は山口のそれよりも うつくしく、そしてあたたかである。  一洵君に おちついて死ねさうな草枯るる (死ぬることは生れることよりもむつかしいと、老来しみじみ感じないではゐられない) 山裾やすらかに歯のないくらしも しぐるるや郵便やさん遠く来てくれた  帰居 こしかたゆくすえ雪あかりする 枯れて濡れて草のうつくしさ、朝  或る日の一草庵は 雨をためてバケツ一杯の今日は事足る 寝ころべば枯草の春匂ふ 開いてしづかに、ぽとりと落ちた  母の第四十九回忌 たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと けふはよいたよりがありさうな障子あけとく わが庵は御幸山裾にうづくまり、お宮とお寺とにいだかれてゐる。  老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る、所詮私の道は私の愚をつらぬくより外に はありえない。 おちついて死ねさうな草萌ゆる てふてふちらちら風に乗つた来た なければないで、さくら咲きさくら散る 天の川ま夜中の酔ひどれは踊る  自省 蝿を打ち蚊を打ち我を打つ ゆう焼しづかなお釜を磨く 夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ 焼かれる虫の香ひかんばしく
種田山頭火句集『草木塔抄』他
<追加> 『苦痛に徹せよ、 しかし苦痛は戦うて勝てるものではない、 打つたからとて砕けるものではない、 苦痛は抱きしめて初めて融けるものである』 山頭火